「タミフる=無謀にも思える行動をすること」Aria

プロローグ:闇の中で

 ――振り返ってみれば笑い話だが、あの頃の俺にはそれは重要なことだったと思う。
 俺は親父とお袋に、オトモアイルー養成コースとかいう地獄にぶち込まれた。
 地獄になっちまったのは、まあ……。俺の見た目は尋常じゃなかったからだ。
 小さい頃は、毛が生えてなかった。ふさふさで、アイルーの個性でもある毛皮が俺にはなかった。いじめられた。一方的だった。俺はそのたびに泣きながら体を鍛えた。
 俺のそんな惨めな姿を見て、天が俺に味方したのか、俺の体は急に大きくなった。他のアイルーたちを蹴り飛ばし、殴りつけ、踏みにじるには充分すぎる体だった。
 気付いたら周りに誰もいない。
 不条理だ、と思った。やつらは、俺のことを蹴りたい放題蹴って、蹴り返されたら逃げた。俺には無い、仲間というものを持って。
 冷たい、世界。砕けた硝子のような心は、歩けば歩くほど足の裏に傷をつける。
 俺は誰もいない広場で一人笑った。
 この見た目が悪いのか? いじめに耐えなかったことが悪いのか? 俺が仲間を求めることがいけないのか?
 変わってくれよ。誰か、変わってくれよ。こんなの嫌だ。どうして俺は生きてるんだ? どうして生き続けてるんだ?
 脳裏を掠めるのは、母の言葉。
 ――感謝されるアイルーになるのですよ。
 あんたにだけは、言われたくなかった。俺は、感謝してないからだ。こんな地獄で生きろって言って、きれいごとばっかり口にして……!
 へっ。
 見とけよ、ババア。俺は決めたぞ。「感謝されるアイルー」になって、「感謝されないアイルー」のてめえを笑ってやる。絶対だ。
 這いつくばってでも、生きてやる。罵られても、生きてやる。俺は「感謝されるアイルー」になってやる。
 ……馬鹿だな、俺。何、善意とか信じちゃってんだよ。カッコわる。
 でもさ、アイルーって単純なんだな。
 不敵な笑み。
 俺はすぐにその里を去った。


 紫煙と喧騒が返ってくる。鼻腔をくすぐる夕食の香り。

「食べないの? 私が食べちゃうよ?」

 長い時間をさまよって俺はここにいる。
 主人、というべき人に出会った。

「そう。う~ん、今日のステーキ少し脂っこいなぁ。私もそれにしとけばよかった」

 黒い髪が絶え間なく揺れる。

「え!? あなた、アホですか。もう手、つけちゃってるじゃない。交換なんてしないわよ。私はこれで、充分です」

 ――今となっても笑い話じゃないな。結局、主人のために行動しようという俺には、旅立ったときの決意がどこかで働いているからかもしれない。
 俺は、言葉が欲しい。たった一つ。シンプルな。
 それは、俺の決意に終止符を打つものだ。
 過去という鎖、お袋という存在の足枷はまだ残っている。俺はそれを引きずりながら今も歩いている。過去の俺は、「過去」をより大きなものにしちまったってことだ。背負うにしても、引きずるにしても、大きくなりすぎてる。
 だが、その言葉さえあれば、俺は多分、全てから「解放」されるんだと思う。

「ねえ。大丈夫? さっきからぼけっとしてるけど」

 だが、

「そう。ならいいんだけど」

 親密になりすぎると、貰いにくい言葉だということに気付いたのは、今更だった。
 

第1章:その日生まれたアイルー

 北を雪山、東を密林、西を森と丘、南を砂漠に囲まれたアシュース村で、その第15代村長、と言えば、有名人どころではない。14代までが築いた「赤山」――借金取立ての赤い紙の山を、着任からわずか3年で消し去ったという伝説を持つその人のことを知らなかったら、アシュース村民ではない、といっても過言ではないだろう。
 第15代村長の方針は至ってシンプル。当時、それまで有名ではなかったその存在が、大きく世間に知られ始めたハンターを、この村に誘致したのだ。ハンターがモンスターを倒せば、その素材がめぐりめぐって村の利益になることは言うまでもない。だからこそ、その事実を、地方のこの村にしてはいち早く発見し、行動した15代は、今も尚、伝説として語り継がれているのである。
 加えて15代は、数多くの名言を残した人物だ。「元気の出ない日は、元気の要らない日」「心は行動に宿る」「俺はインフルエンザだった」「タミフルを飲んで、ベランダから落ちたら、ここにいたんだ」後ろの二つは、15代晩年の言葉である。我々村民からすればあまりに高貴な言葉ゆえに、理解できず、言語学者を雇って、その解釈が議論され続けている。
 言語学者と村民の研究によって分かったことは、15代がこの村に訪れた際の見たことも無い服装から「渡り人」であった可能性が高いこと、と、この村に訪れた際に15代は風邪気味だったという証言から、彼は風邪のことを「インフルエンザ」と呼んだ可能性もまた高い、ということである。
 ともすれば、残った謎の言葉「タミフル」が我々の心の中に強く残るは必定。その良い例として、最近では、若者の間で「無謀にも見える行動をする」ことを「タミフる」と言うらしい。
 なるほど、言い得て妙、である。「ベランダから、落ちた」という15代の言葉には、そのニュアンスが含まれているようにも思える。
 しかし、どれほどあがけども、15代はとうの昔に亡くなっている。我々の仮定が、限りなく近づくことはあったとしても、決して真実にいたることは無いだろう。
 と、言うことは、私の生涯の研究は全てタミフったものだったということなのだろうか?
 まずい。今の結論に至った途端に、持病が
            ――――第21代村長、ルック・サーチェス、晩年の日記より



「彼」は、根は紳士だとラグロス・サーチェスは考える。男の中の男であり、開拓者である、とも。
 ――15代がこの村に訪れた日を記念日として、アシュース村は祭りが行われる。「彼」はその日生まれた。
 商人の手伝いをするオスアイルー、ネクスと、キッチンアイルーのマリーの間にできたアイルー。父の数学の才能を継げば商人として、母の料理の才能を継げばキッチンアイルーとして、安定した未来が約束されていた「彼」。
 だが、神はあまりに非情だった。
 何をどう間違ったのか、その子どもは、両親の性質をかけるや足す、引く、割る、といった結果を超越した存在となってしまったのだ。
 まず目に付くのが、その見た目だ。普通のアイルーの平均身長は60センチといったところだが、彼はそれを大きく上回るどころか、その三倍の180センチ。また、普通のアイルーには色彩豊かな毛皮があるが、彼にはそれが無い。替わりに、彼は隆起する筋肉に包まれている。腹筋、上腕筋、僧帽筋……と、かなり人間に近い性質を備えていた。その色は艶めいた、褐色。頭も異様に大きく、ハンターが宴会の際に用いるアイルーフェイスにそっくりである。
 甘いマスク、とろけるようなボディ、とはまさにこのことだろう。
 それだけならば、ハンターとともに戦うオトモアイルーとして、多少変な目で見られるとしても、充分に村の中で役に立つことができたのかもしれない。
 だが、要するに、それだけでなかったのである。
 彼は、酒場で、その感情を浮かべない顔を男性ハンターの耳元に近づけて「狩・ら・な・い・か」と言う。それは彼にとっては「捕食行動」であり、哀れそのハンターにとっては「死刑宣告」であるのだ。「彼」は常に、採取クエストのチケットを持ち歩いている。誘ったハンターと向かうのは採取クエストだ。何を採取するのか? 何を採取するのでしょうね。アシュース村の女性ハンター比率が異様なまでに高いのは「彼」が原因だ。
 彼は男しか、愛せないのである。
 そして、おぉ、なんと残酷なことに「彼」もまた男であったのだ。
 そんな偽りの悲劇の中にも特例は存在する。
 その一つが、この、工房のカウンターに座り、祖父の日記を見つめる少年――ラグロス・サーチェスだ。ラグロスは、ハンターを目指していたがモンスターを斬れず、「へなちょこ」の二つ名をギルドマスターより直々に賜った後、工房見習いとして働いている。癖の無い金髪、空の青の瞳、とも言えば美少年を想像してしまいがちだが、ラグロスはそう見えない。平凡から多少、貧弱方向に修正した感じ。パーツはそろっている、だが、何かが決定的に足りないのだ。
「彼」の「捕食」には一定の基準があるようだ。一年以上アシュースにいるのに「捕食」されなかった人が「彼」のターゲットになることは二度とない。
 ラグロスも「捕食」されなかったうちの一人だ。
 だから「彼」が来ても、何の抵抗も無く接することができる。


「俺の武器は直ってるか?」

 高くも無く、低くも無い、声。ラグロスは視線を声の主に向けて営業スマイルをプレゼントした。

「できてるよ。ちょっと待ってて」
「おう」

 ラグロスは椅子から立ち上がり、完成品が並べられた棚の方へ進む。目当てのものはすぐに見つかった。
 モンスターの骨で作った柄に、不釣合いなまでの大きさの金属塊を溶接した武器。ハンマー。鉱石の純度を高めに高め、重量を手に入れた「アイアンストライク改」。それが「彼」の得物だった。ラグロスはそれを慣れた手つきで、カウンターまで運ぶ。

「おまちどう!」

 鉄塊がカウンターを揺るがす。
「彼」はそれを受け取り、大きな青い瞳で隅々までじっくりと見た。

「相変わらずいい仕事だ。セクターさんに伝えておいてくれ」

 セクターさん、とはこの工房の長のことだ。セクターさんは「彼」の、いわゆる、タイプな男性であるため、滅多に人前に姿を見せない。

「分かった。……今日は何かあるの? クエスト?」
「あぁ。隣の森と丘で出たリオレイアの討伐依頼だ」

 ラグロスの心臓が、ドクン、とはねた。オトモアイルーと、一応、位置づけされている「彼」が狩りに行くということは、当然、その主人も狩りに行くということだ。

「おはっよ~! ラグロス~!」

 ラグロスは声のした方向に視線を走らせる。「彼」の主人だった。

「リン、おはよう」

 視界に写るのは、まず、青。リンのギザミシリーズの防具と、得物であるブレイドスティンガーには、ショウグンギザミの青色の甲殻が使われていた。リンはヘルムを小脇に抱え、こちらに手を振りながら走ってくる。ほつれたその髪は黒。瞳も黒。リンは典型的な東方人だ。東方人は、この村には多くいない。それ故にか、ラグロスの心はこの幼馴染に大きく揺さぶられ続けていた。

「そろったね」

 ここは、待ち合わせ場所としては最適だった。

「俺に挨拶は無しか?」

 タミフルが大きな青の瞳をリンに向けて言った。

「うん」
「そんな、リン。いくら嫌われ者を拾って養ってあげてるからって、事実を即答したら、それはかわいそうだよ」
「追い討ちをかけているという自覚は?」

 ラグロスは「彼」に満面の笑みで答えた。

「無い。事実を言ってるだけなんだよ? 君の目、節穴?」
「……俺のハートは厚い筋肉に包まれてるから、いいさ」

 ん? ラグロスは首をかしげた。心なしか、大きな頭の大きな耳が垂れている。それにいつもは、冗談を言えば、言い返してくるはずだ。

「なんだか今日元気ないね」

 今、ラグロスの存在に気付いたかのような顔をして「彼」は言った。

「当たり前だろう。今日の相手は、雌だからな」

 気乗りしないさ、と「彼」は言う。ラグロスは呆れていた。

「いい加減、直したら? ……タミフル」

 彼――15代感謝祭の日に生まれたアイルーのタミフルは、元気いっぱい首を横に振って言った。

「無理だ」

 言いようも無い沈黙が、隙間を見つけては忍び込む冬の空気のように、場を支配した。

「いいわ。別に。ハンターとしての腕前は私以上だし、その上、超安月給で助かっちゃう」

 タミフルは本当に元気が無い。酒に酔った時の決まり文句を口にした。

「俺は嫌われ続けてきたからな。リンにも、ラグロスにも本当に感謝している」
「言葉ってね、繰り返せば繰り返すほど価値が薄れるの。知ってる? もう聞き飽きたわ」

 ラグロスも小さく頷く。タミフルは、大きな目を一瞬下に向けた後、言った。

「だが、俺は言い続ける。これしか、二人に感謝を伝える言葉はない」
「……もう、照れること言うなよ。これでも、虐待してるつもりだから」

 タミフルは、大きな顔で小さく笑った。それを合図にしたかのように、リンが口を開く。

「それじゃ、ラグロス。行ってくるわね」

 ラグロスの胃の隅っこが絞られた。
 それは一言で言えば、不安。もう一つ加えていいなら、負い目。リンとともにハンターになろうと誓った、幼い頃。結局その誓いは僕が破った。もっと僕がしっかりしていたら、タミフルに任せる必要なんて無かったのに。でも、僕は怖かった。怯えたランポスの瞳が僕に訴えていた。殺さないで、殺さないで。
 僕はその時「へなちょこラグロス」であることを選んでしまったのだ。

「うん。気をつけて」

 不安で、不安で。リンが村にいない夜はろくに眠れない。リンの方が不安なのは当たり前なのに。分かっているのに。
 あの選択の日から、大きく差が開いてしまった。
 ラグロスは、今日も青の背中を見送った。二つの背中が視界から消える。村に活気が出てきた。すぐにハンター達が工房に押しかけてくるだろう。その前に、ラグロスは呟いた。

「タミフル。頼んだよ」

 ラグロスは、自分に対する黒い感情に苛まれた。


第2章:地中から「狩る者」

 アシュース村の西にある森と丘、通称、ビギナーズエリアと呼ばれるこの地に、リオレイアが住みついたという報告があったのは、つい2日ほど前だった。それを見たのが、そこでランポスの討伐を行っていた新米ハンター達で、犠牲者が出なかったのは奇跡と言うしかない。ビギナーズエリアをビギナーズエリアたらしめるのは、その温厚な気候と、イャンクック以外の飛竜が住みついたことが無いという事実だっただけに、アシュースギルドは方針転回せざるをえないだろう。

「ま、バックグラウンドはいいんだけど」

 ビギナーズエリアに向けて、草が茂る小道をリンとタミフルは歩く。そうすると、アイルーフェイクを被った大柄のハンターと、ギザミシリーズの防具に身を包んだ小柄なハンターが歩いているように見える。リンは決して小柄な方ではない。身長が高いタミフルやラグロスと比べられるために、そのように見えるだけだ。

「ね、タミフル。作戦、どうしよっか?」

 それほど角度があるわけではないが、多少見上げる形になる。

「俺が撹乱、リンはどっしりと構えて攻撃し続ける。……いつも通りではだめなのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。リオレイア、初めてだから、どうしようかと思って」

 タミフルは視線を一瞬、空に走らせた。自分の言葉をまとめているようだった。

「初めてだったら、尚更だろう。変にいじれば、危険が及ぶかもしれない」
「おー。正論。本当に大丈夫? 相手は、雌だけど」

 こんな真面目なタミフルも、初めてだった。タミフルは質問の真意を理解していないようだった。

「だから、元気ないじゃん。さっきから」
「あぁ。いや、そうじゃないんだ」

 タミフルは一人、呟く。

「俺は耳がいいからな。聞きたくないことも、あいつの呟きも、聞こえちまうのさ」

 あいつ? 誰? と、リンは考える。タミフルが、あいつ、と呼ぶのは……ラグロス? 私のことはリン、他の人も名前で呼ぶ。

「ラグロスが、何か言ってたの?」

 驚いたような表情を一瞬、こちらに向けて、そのあと視線を正面に戻して、タミフルは言った。

「まあ、な。俺の肩に荷を載せるような言葉だ。リンが気にすることは無い」

 気になるぅ! と、リンは心の中で叫んだ。何? 私、除け者ですか? 男同士のお約束? それとも熱い夜の盟約? って、私は何を考えてるんだ!? いや、待てよ。肩に荷を乗せる、と言うことは、ラグロスから? そして、タミフルは渋々? そうよね。呟いたのはラグロスなんだから。それがたまたま聞こえてしまった、と。……嘘でしょ? あの「へなちょこ」が?

「顔、真っ赤だぞ」 

 気付いて顔がさらに真っ赤になったのは、ご愛嬌。
 どうしましょ、タミフル汚染が深刻ですの。被害レベル、特一級。誰か、私を助けて。
 ゴホン。
 だが、いくら気になったところで「気にするな」といったタミフルから、その話を聞こうとするのは、それこそ、タミフってる。タミフルのボデーはむさ苦しいほどの筋肉で硬く、また口も盾蟹のように硬い。

「大丈夫。なんでもないわ」

 取りあえず、リンはこの件を保留することに決めた。ラグロスに限って、ありえない。そう信じたかった。そうであってほしかった。

「そうか。……着いたぞ」

 正面には、色濃く茂った森の道。少し進めばベースキャンプに着く。
 リンは、久しぶりだ、とは、とても思えなかった。
 なんだろう。肌をちりちり焼くようなプレッシャーを、森が放っていた。最早、ビギナーズエリアではない。そこに厳然と存在するのは、不屈の自然。圧倒的な何か。強敵の存在を第六感がビンビン伝えてくる。鳥肌が立った。
 恐怖か? 否。

「武者震いよ」

 リンはランスとセットである大盾を装備した右手の拳を、握り締めた。
 それまでの自分をその中で握りつぶすかのように。

「……行くぞ、リン」

 ええ、と自分でも聞こえるか聞こえないか、という音量の返事。
 リンは大きな緑の口の中に一歩を踏み出した。



 天に伸びる緑の塔。背景は吹き抜ける空。一瞬、リンは自分の目を疑った。
 本当に生物か。こんなに美しく、こんなに圧倒的な存在が。
 塔は倒れる。その速度は徐々に上がり、地面に触れる寸前、先端から地獄の轟炎を吐き出した。リンは盾を持つ手に力をこめる。
 火球が、盾で爆ぜた。
 ショウグンギザミの甲殻の欠片がいくつか、淡い青を放って散る。爆炎の世界の向こうには、今回のターゲット――深緑の女王、リオレイアがいた。
 今までの飛竜とは比べ物にならないほど力強い翼、陸の女王とあって逞しい両足、大木ほどの太さがある尾、そして、頑丈な新緑の甲殻。
 リンは防戦一方だった。
 ランス使いがモンスターと一対一で戦う場合、その機動力の無さゆえに、相手が離れてくれない限り、武器を仕舞うことは許されない。そして、その状態を維持するためのガードにも限界がある。リオレイアはそのことを知ってか否か、火球、尻尾で同じ位置から攻撃し続け、リンに休むということをさせなかった。
 突進をしたら? リンは、自分に問いかける。そして、答え。ノー。
 ガード続きで、踏ん張る足も限界に近い。こんな状態で突撃を仕掛けたら、リオレイアまでたどり着けるかどうかすら怪しい。この状況を打破するということは、リオレイアの体の向こうまで走り抜けるということ。残念ながら、本当に残念ながら、そんな体力は残っていなかった。
 ランスは移動要塞と称されるほど、堅実な防御と、確実な攻撃手段を持つ武器だ。
 だが、要塞は所詮、要塞である。要塞が何のためにあるのかといえば、何かを守るためか、壊されるためのいずれか。今のリンは、傍から見ても後者だった。
 リオレイアの尾が、迫る。
 太くて、重い、一撃。
 ガードの本質とは受け流し。いかに自分のダメージを軽減するか、それが試される。
 リンは盾を斜めに構えた。衝撃。そして、頭上を通り過ぎる尾。既に右手の感覚は無い。
 そこで、攻めるしかない、とリンは腹をくくった。
 ランスの盾のガード性能のおかげですぐに立ち直り、そのまま確かな足取りでリオレイアに2歩近づく。リーチとピッタリだ。

「せいっ!」

 磨き上げられた渾身の中段突き。尾を回して、一回転したリオレイアの頭に、躊躇なく鋭い青の刃が突き刺さった。赤い血花、黄色の火花。ランスの突きには、切断と打撃、という二つの要素が含まれている。
 追撃はせずに、バックステップ一つ。
 その判断は正しかった。

「GWOOOOOOOOOOO!!!!」

 盾を衝撃が打つ。破壊を含んだ音の波。リンは震える盾を必死に押さえ込んだ。
 それが止む。
 フラッシュのような一瞬の視界には二つ。右斜め前の地面から飛び出した何か。そして、リオレイアの口から漏れる炎の欠片。炎の欠片が距離を詰めて迫ってきた。
 突進……!
 ガードの本質は受け流しである。
 では、視界いっぱいに迫る質量をどうやって受け流せというのか。

「っ!」

 瞬時の左ステップ。もう一つできたら完璧だったが、それまでよりスピードが上がったリオレイアがそうはさせなかった。リンは足の踏ん張りを無くす。あえて吹っ飛ばされることで、直接的なダメージを軽減する構え。自分の身を守る右手には力をこめた。
 衝撃。

「が」

 足は薄い緑の地面をすべり、後退する。幸い、体へのダメージは無さそうだった。
 リンは、リオレイアが自分の右側にあることを確認する。
 そして、驚愕。
 確かに、女王は右にいた。リンの見ている前で、急停止、方向転換。リンの方へ品のあるお顔を向けて。
 膝は笑っていた。右腕の感覚は無い。リオレイアに向き直れば後ろは壁。
 絶望的。どのようにこの状況を分析しても、浮かび上がる言葉はそれ一つだった。
 その時、リオレイアは嗤っていたに違いない。

「……ァァィィィアァァァァン――」

 どこからか聞こえたその声に、取るべき行動を確信したリンが、ほぼ零距離の突進を仕掛けるまでは。
 リオレイアの目に怒りが宿った。突進を仕掛ける飛竜を前に、人間がそれをするということは、体格差をこえた決闘の要求、つまり、挑発と写ったのだろう。
 リンの肌が粟立つ。交錯する女王の視線には、ただ殺戮の願望しか宿っていなかった。
 でも、とリンは自分に言い聞かせる。リオレイアの視線を釘付けにすることが私のミッション。
 リオレイアの両足が膨張する。攻撃の予兆だ。
 対するリンは突撃の途中。止まりようがない。
 リンは心の奥で絶叫していた。まだ? まだなの!? こっちは命かかってんのよ!
 わずか数瞬の出来事。
 その時、再びの声は空から響いた。

「ストライクッ!」

 アイルー族は基本、身長の三倍の高さのジャンプができる、といわれる。身長60センチの彼らなら180センチのジャンプ。では、身長180センチのタミフルなら?
 540センチ。
 リオレイア、リンの戦闘を数手先まで予測し、地中から飛び出したタミフルは、空中で一回転しつつ、今まさにリンを押しつぶさんとしたリオレイアの頭蓋に、アイアンストライク改を打ち付けたのだ。

「GA……」

 想像を絶する音。鉄槌は頭蓋を砕くには至らずも、女王に気絶を強要する。リオレイアの意識が飛ぶ、ことはなかった。

「素敵なお目覚めね」

 零距離の突進。それは終幕への布石。リンが、そうはさせなかった。
 体重を乗せた青い槍は寸分の狂いもなく、イキモノの最大の弱点である脳へつながる穴――目へ。

「はっ!」

 突進からのフィニッシュ突き。青く鋭い穂先はリオレイアの右目を押しつぶし、貫き、さらに内部へと侵攻する。

「GWAAAAAAAAAA!!」

 リオレイアの苦悶の叫び。リンは舌打ちをした。生きている、つまり、脳には届いていない。
 これ以上、刺しこむことはできない。そもそも低い位置にある目標を攻撃するにはランスは不向きな武器だし、両足が棒になったみたいだ。では、抜くしかない。

「リンッ!!」

 え? タミフルの声に、呆けたように呟いたリンの視界を埋める、赤。
 ブレス……、違う。首を振り下ろさなければ、火球を前に発射することはできない。
 とすれば、自爆?
 全ての火炎を一点に集中させて、起爆。
 理性が先か、本能的な反射が先か、咄嗟に盾を正面にかざすリン。
 直後、五感を全て吹き飛ばすような大音響が、辺りにこだました。


第3章:旅立ちと


 明日は、リンの見舞いに行かないとな、とタミフルは暗闇の中で思った。村の囲いの外にある草むらに、彼は潜んでいた。
 待つこと数分。
 どこからか、鳥の翼が空気を切る音が聞こえた。
 タミフルは慣れた様子で、口笛を一つ吹く。と、空から雄雄しい鷹が一羽、舞い降りてきた。

「疲れただろう」

 タミフルはそれを腕に止まらせると、餌を与える。鷹はうれしそうに喉を鳴らした。

「もう行っていいぞ」

 タミフルは鷹を放つ。それは村の中へ飛び去っていった。残された一人は手に残った一枚の紙を見つめる。
 計画は問題なく進んでいる。後は、俺が出て行くだけ。
 何やってんだか。タミフルは小さく笑った。ばれたらギルドに何をされるか。
 まあ、いくら馬鹿げてる、と言ったところで、それに意味はない。立ち止まることに理由をつける言葉だからだ。
 他人から見ると馬鹿げてるだろう。でも、俺はあの言葉を貰わなければ前に進めない。それに、恩返しってことでもある。もう一つあるとしたら、見ていてじれったいってとこか。
 言い訳ならいくらでもする。自分の行動に筋道をいくらでも立ててやる。
 だが、俺は、前に進みたい。そのためには、あの誓いを達成しなければならないんだ。

「今日は冷えるな」

 そう呟くと、タミフルは村の中へ戻っていった。

――――――――――

 冷え込んだ夜の次の朝は、得てして心地のよいものである。
 木製のドアをノックする音。

「はい」

 リンはベッドの上から返事をした。ノックをした人物が顔を覗かせる。
 人を小ばかにしたような、あまりに大きなサイズの頭、そして存在を強調する筋肉。タミフルだった。

「大丈夫か?」

 タミフルはベッドのわきの椅子に腰を下ろすと、そう言った。リンは窓の外に向けた視線を返す。

「右腕の骨折。小さい骨だから、全治二週間ですって」

 リンは微笑みながら、ぐるぐると白に巻かれた右腕をタミフルに見せた。

「そうか」

 リンはもう一度、窓の外に目を向ける。長い黒髪が揺れた。
 小さな風が、窓から吹き込んでくる。

「すまなかった」
「どうして? タミフルに責任は無いわ」
「頭蓋を砕いたと確信していたんだ、俺は。結局、クエストには成功した。でも、こんな勝利には意味が無い」

 遠くの山は、雨が降っているのだろうか、黒い雲がかかっていた。

「言いたいことは、それだけじゃないでしょ?」

 タミフルが、ぴくっ、と体を動かしたのを気配で感じた。

「あぁ。リン。俺は修行の旅に行ってくる」
「そう。いつ頃、帰ってくるの?」
「一ヵ月後だ。親父とお袋にも顔を見せないといけないしな」

 そう、とリンはため息のようにもう一度、呟いた。
 タミフルは椅子から立ち上がる。離れる背に、リンは言葉をかけた。

「気をつけてね」

 タミフルは、まるで聞こえていないかのように出て行った。
 リンは知っている。タミフルは、耳がいいんだ。

――――――――――

「そうか、行っちゃうんだね」

 紫煙と喧騒。ハンターズギルドが管理する、アシュース酒場だった。

「帰ってくるぞ?」
「え~、残念」
「冗談か何か、だよな?」
「本音だよ」

 ラグロスは即答した。

「俺のハートは厚い筋肉に包まれてるから、いいさ」

 タミフルは決まり文句を口にする。ラグロスは、話題を変えるべく、息を吸い込んだ。

「リン、元気だった?」

 タミフルが、にま、といやらしい笑みを浮かべた。何せ、顔のサイズが尋常じゃないから、本当に馬鹿にされた心地だった。君の顔の方が馬鹿なのに。

「見舞いに行けばいいだろう? いつもお前が言うように、俺の目は節穴だからな。知らん」

 く、痛いところを突いてくる。

「分かったよ。今度、リンのお見舞いに行く」

 ラグロスは、渋々、引き下がった。麦酒に手をつける。喉はからからだった。
 柄にも合わず、ラグロスは緊張していたのだ。
 タミフルが旅立つ、これは絶好の機会だ。物事の転換期。タミフルの心の防波堤も脆くなっているに違いない。
 ラグロスはそうと悟られぬよう、呼吸を整える。褐色の筋肉が目の前にあった。

「タミフル……」

 ラグロスは、秘めていた思いを伝えた。



 その色は、褐色。どこか人肌を想像させる、滑らかさ。

「これ?」

 ラグロスの声は、世界の端へ溶けていく。

「お前が、決めたことだろう」

 そして、近づく巨大な顔。アイルーフェイク。ラグロスは一瞬、目を閉じた。
 そうだ。これは、僕が、決めたこと。


――――――――――


「もういいでしょう。長い入院、お疲れ様でした。しっかり体力をつけてから、狩場へ行ってください」

 そういったのは、白髪が眩しい初老の男性。アシュース村の医者だった。

「はい! お世話になりました!」

 リンの心は歓喜ではち切れそうだった。体力が有り余ってはみ出して暴走してぶっちぎっている。今なら「アシュース村民地区対抗、耐久ロードレース in 砂漠」にも参加できそうだ。いつもはハンターとして、コースの警備を任されていたけど。ゴールテープを引き裂いて駆け抜けてやる。
 リンはつまらないことを考えながら、意気揚々と病院を後にした。少し冷静になってみる。
 体力をつけないと。先生も言ってたけど、今までどおりの体じゃないんだから。
 石畳の道をスキップで進む。

「訓練所。久しぶりに行こうかな」

 リンの呟きは、柔らかな春の日差しに温められた。



 タミフルが帰ってきたのは、出発した日から三週間後だった。

「リン。怪我は治ったか?」

 リンはタミフルに誘われて、村の中心にある噴水の広場にある木陰にいた。いつ見ても、この噴水というものは不思議だ。何故、地中から水が噴き出すのか。さっぱり理解できない。何でも、雪山の方まで、管を伸ばして、そこから水を引いてきているのだとか、高低差の関係だとか。

「ええ。早く退院できたし」

 あれ? 微妙に会話が噛み合ってないな、とリンは思った。

「そうか。狩りにはいけるのか?」
「少し不安だけど、ランスも防具も直したから、大丈夫だと思う」

 タミフルは、一瞬、噴水に目を向けた。

「リン。やはり問題は、俺のあの不意打ちのような攻撃にあったんだと思う」

 リンは一瞬、何のことか分からなかったが、すぐに、あのリオレイア戦のことだと気付いた。

「そんな、気にしないで……」

 リン、と遮るようにタミフルは言った。何でだろう。その響きをずっと待ちわびていたような気がした。

「作戦、としては成功だったのかもしれないが、こんな調子で続けていたら、リンの体がいくつあっても足りない」

 リンは、タミフルをじっと見つめた。

「俺は、リンを、失いたくないんだ」

 さらり、と放たれた一言。

「だから、俺は里で、人間のような戦い方を学んできた。ハンマーの振り方も練習した。もう一度、役割分担を考え直して……リン? どうした?」

 リンの異変に気付いたのか、タミフルはリンの顔をじっくり覗き込む。リンは顔を真っ赤にして口を開いた。

「や、役割分担でしょ!? 余裕!!」
「余裕って、何がだ?」
「え、や、その決定が、よ。余裕~」
「そうか。まあ、妥当な線で、リンが主体、俺が遊撃だろうな。俺が相手の気を引き、リンの攻撃が蓄積してきたところで、俺がとどめの一撃を放つ」

 リンはふと、違和感を感じた。タミフル、自分の役割のこと、なんて言ってたっけ?
 無駄なことね。リンは自分を納得させつつ、疑問を胸の奥に封じ込める。

「いいんじゃないかしら。ただ、真面目に戦うとなると、回避にだけは気をつけて。ハンマーはガード、できないわよ」

 タミフルは小さく笑った。

「心配するな。その点も抜かりない」

 タミフルとリンは、その後もいくつかの戦い方を検討した。

――――――――――

 その成果が試される日は、驚くほど近くに迫っていた。

――――――――――

「ふむ。今度こそ、本気で改名かの」

 ギルドマスターがいつものようにカウンターの上で、ポツリ、と呟いた。
 タミフルが帰ってきて、まだ、2、3日も経たないうちに、ある報が森と丘より届けられたのだ。リオレウス、出現。被害、訓練ハンター2名の死亡、同1名重傷。

「決めたぞい。新婚飛竜いらっしゃ~いエリア、とする」
「どうでもいいことに、頭を使わないでください。マスター」

 そう言ったのは、この酒場を切り盛りする受付嬢だった。

「わかっておるよ。しかし、異常じゃ。観測局の情報網をかいくぐってくるなど、空を飛ぶやつらには不可能じゃろうて」
「マスター。その件について確認を取ったところ、どうやら、情報が偽装されていたことが判明しました」

 ギルドマスターはパイプをふかした。表情が険しい。

「と、言うと?」
「一ヶ月前から確認を取る今日まで、観測局はリオレウスの襲撃予測を出していたとのことです。ですが、我々の元に届いた情報は全て『異常なし』。第三者の妨害行為があったものと推察されます」

 各ギルド、観測局間の連絡手段は、鷹の足に手紙をくくりつけ、それを往復させるというものだ。妨害、偽装は不可能なことでは無い。

「ふむ。ライズ、クレイブ、ヴェアトリーチェ――村の守り手たちは王都防衛戦に向かっておる今、順当に行けばリンじゃろう」
「私も彼女を推薦いたします。タミフルが戻ってきていますし、怪我も完治したようですから」

 ギルドマスターは酒場をぐるりと見渡した。何気ない所作。マスターの決断はいつもこの瞬間に行われる。

「よかろう。采配は任せる。隣村に援護の要請をしておくのじゃ」
「はい」

 受付嬢は、す、と影のようにカウンターを去った。白い、一枚の依頼書を持って。
 
――――――――――

 朝霧を、空気を切る音が吹き飛ばしていく。三段。

「せいっ! ふっ、はぁっ!」

 青の盾と槍を持ったリンは、槍を空に打ち込んでいた。鎧の隙間からは、湯気が立ち上り始めている。少しやりすぎるくらいがちょうどいい。ざり、と砂漠から運んだ砂がリンの足元で音を立てた。
 訓練所の中で、闘技場と呼ばれる場所だった。
 上段突きは伸びるように、中段突きは捻るように。上段、中段、上段。中段、上段、中段。

「リン。時間だ」

 入り口からの声に、リンは振り返る。タミフルがずっと前からいたかのように、そこにいた。

「いけるか?」

 リンの脳裏に、一瞬、リオレイア戦が、その最後の瞬間がよぎる。膨張する赤、全てを覆うかのような黒。だが、それを打ち破っていかなければ、決して前に進むことはできない。

「もちろん!」

 リンは槍を背中のホルダーに引っ掛けた。闘技場の入り口へ歩を進める。

「これを……」

 タミフルは、リンの方へ何かを投げてよこした。赤い色のそれ、インナーだった。
 リンは疑惑のこもった視線をタミフルに向けた。

「リンのお袋が……ぁ、ごほっ、ごほっ。ラグロスが、渡しておいてくれ、と」

 その言葉ですぐに納得した。ラグロスと母さんはやたら仲がいい。母さんがラグロスに渡しておくよう頼んだのだろう。

「ちょっと待ってて、着替えてくるから」
「あぁ。村の入り口で待ってる」

 リンは、ふと、違和感を感じつつも、一度頷くと、更衣室に入った。


 木々が、ざわめいていた。
 それは、恐怖からの回避とも、小さき者への警告とも見えた。

「待つんだ」

 タミフルのささやき声が、リンの本能を刺激する。首筋を冷たい汗が伝った。
 うっそうと茂った木々の合間、小さな茂みがいくつかと小さな泉がある、開けた場所。目標を捕捉した。
 血のような赤と漆黒が、リズムを刻むように甲殻に現れている。逞しい赤の翼。鋭い足の爪。空の王者――リオレウスは一度辺りに視線を走らせると、泉に顔をうずめるようにして水を飲み始めた。

「どうするの?」

 リンはそう呟いて、タミフルに主導権を委ねている事に気付いた。

「俺がペイントをする。リンはやつが振り向いたところに、思いっきり突進してくれ」

 リンは首を縦に振った。
 タミフルが視界から音もなく消える。ペイントをするなら、近づかなければならない。とすると、私も、もう少し近づいておかなければならない。リンは息を殺しつつ、かがんだ姿勢のままで前に進んだ。じりじり、と時間が流れる。気付かれないと確信できる一番近い距離で、右手前にいるタミフルに合図を送った。
 リンは茂み越しに体を起こし、槍を抜き放つ。
 セット。
 小さな放物線。そして、桃色の花が開いた。特異臭が鼻を突く。
 スタート。
 がさり、と茂みを吹き飛ばしつつ、リオレウスに迫る。臭いと音から、異常を感知したリオレウスがリンのほうへ向き直った時には、リンは距離を詰めていた。
 無防備なのは、甲殻に覆われていない、腹部。
 突進しつつ穂先を少し下げ、それが強固な頭蓋骨と接触することを避ける。槍の先がリオレウスの頭の下をくぐったところで、槍の角度を少し上げた。
 リンの得物、ブレイドスティンガーは先端を尖らせたランスだが、ショウグンギザミの鋭い刃は槍の側面にもまた使われている。つまり、その青い槍は、尖った先端を持つ、片刃の剣、ともいえるのだ。
 槍の角度を上げる。先端は、リオレウスの首の辺りに浅く刺さり、そこから突進の加速で尾まで続く一本の赤い線を引いた。リンはこの攻撃を自分の中で「メス」と呼んでいる。医者が研究のために、遺体を解剖する際に用いる、細く切れ味のよいナイフ――メス。スケールと「切る者」「切られる者」の位置関係は異なるが、本質は同じだろう。
 そこから、さらに切り込んで、切り刻んでいく。そのための準備、という本質は。

「GU……」

 リオレウスが苦しみの感情をもらす。出血量は多くはないが、痛みの範囲が広いはずだ。
 リンはリオレウスの足の間を駆け抜け、突進を止める。振り返って、リオレウスのほうに向き直ると、茂みから飛び出したタミフルがリオレウスを挑発するように動き回っていた。
 リオレウスは、右へ左へ動き回るタミフルに狙いを定めることができないようだ。これをチャンスと取るか。いずれにせよ、槍のリーチの外にいることには変わりない。距離を詰めてから、それでもリオレウスが気付かない様子ならば、攻撃をする。
 1、2、3歩。
 リオレウスはタイミングを合わせたかのように、空へと舞い上がった。

「タミフル! しっかり見て!」

 リンはヘルムによって狭められた視界で、必死にリオレウスの姿を追う。
 リオレウスは滞空しながらも、器用に首を下に向けると、タミフルに向けて火球を放った。

「ちっ!」

 タミフルが横に転がる。先ほどまでタミフルがいた地面が、黒く焦がされる。
 王者は、一瞬地上に視線を送った後、ごうごうと、風圧を纏い降下し始めた。
 隙だ、と直感的な判断。理性はすぐについてきた。地上への警戒は薄いに違いない。

「だぁぁぁぁぁぁあああ!」

 リンは穂先を水平に構え、駆け出した。狙うは右足。まだ、空中にあるそれが地上に付くタイミングを見極める。突進を締めくくるフィニッシュ突き。それは、槍の加速に腕力を重ねた、ランスの誇る大技だ。
 ずん、と地面に根を下ろした足に、
 ざぐ、と槍が突き刺さった。

「GWAAAAAAAA!!」

 苦悶の絶叫は、倒れゆくその大きな口から。
 隙が、隙をつないでいく。

「ふんっ!」

 タミフルは大上段に掲げた重量の塊を、リオレウスの頭蓋めがけて振り下ろした。固いもの同士がぶつかり合うかのような、一方には心地よく、もう一方には絶望的に聞こえる音。
 その跳ね返りを利用して、タミフルはもう一度、ハンマーを振り下ろした。
 リンもただ呆然とその光景を見ていたわけではない。青の槍を、開いた腹の傷に突きこむ。中段、中段、中段。リオレウスの腹の中はまるでかき回されたかのように、あらゆるものが混在している。青だった槍の先端は、赤を超えて今や、黒くなっていた。
 リオレウスは、よたよたと起き上がった。

「タミフル! 私の後ろへ!」

 リンは知っている。ハンターが気を抜いた瞬間こそ、本当の敗北なのだと。
 タミフルが、リオレウスに対してリンの後ろに隠れる。と同時に、リオレウスの咆哮があたりに響き渡った。
 音。それはイキモノが持つ潜在的な恐怖を喚起する。それを防いでいるのは、厚さわずか5センチの盾。その向こうの世界は深淵だった。
 振動が、消える。

「リン! 避けろ!」

 タミフルが後ろから離れて行ったのを肌で感じた。
 視界いっぱいに迫ったリオレウス。圧倒的な質量、速度でそれは破壊を撒き散らす。
 早……。
 ステップ一つする時間すら与えられない。リンは覚悟を決めた。
 ガードの本質は受け流し。
 交互に繰り出される太い足。リンはその間に小さな空間を見つけた。
 盾をリオレウスの頭の下に滑り込ませるように。
 小さな衝撃、通り過ぎる大きな質量。
 リンはリオレウスの攻撃を「ガード」し切った。
 リオレウスは岩壁に突っ込む寸前に、自分で体を地面を擦り付けて突進の勢いを殺す。前足を持たない飛竜種は、一度走り出すと、このようにしなければ止まることができないのだ。

「大丈夫か!?」

 後ろからのタミフルの問いに、沈黙で答える。リンはランスを一部の隙もなく構えた。
 王者はすばやく体を起こす。
 リンは唾を飲み込んだ。
 目の前で、怒りの炎を漏らすリオレウスはこちらに向き直って、空へ舞い上がった。
 空気を切る音がだんだんと遠ざかっていく。

「逃げた?」
「おそらくは、な」

 もう一度耳を澄まし、音を探る。聞こえなかった。ふぁぁぁぁぁ、とため息が漏れ、世界が上にシ
フトする。緊張が途切れ、膝が折れたのだと気付くのには、多少の時間を要した。

「槍、研がなきゃ」

 ハードな使い方をした青の槍を磨き上げ、またもとの切れ味に戻すべく、ポーチから砥石を取り出す。湿った砥石とキチン質の甲殻が擦れ合う音だけが、森に響いた。

「この調子でいこう」

 槍を背にしまいつつ、タミフルに頷いた。

「大丈夫。やれるわ」

 ペイントボールの匂いを捜す。濃い、ということは意外と近い。およその方角の見当をつけ、茂みを割って歩き出した。
 がさ、がさ、がさ……。
 緑一面、青臭い、耳障りな音が響く。
 がさ、がさ、がさ……。
 不意に本能の警鐘。何かが、おかしい。警戒レベルを引き上げろ。

「リンっ!」

 その声が先か、足を止めるのが先か。
 緑は一部消え、桃色の特異臭がこれでもかとばかりに鼻を突き、空気を切る音が聞こえた。
 リンは忘れていた。ハンターが気を抜いた瞬間こそ、本当の敗北だということを。
 視線を上に走らせると、木々が形作る天然のドームを突き破って迫る、赤。
 奇襲……!
 先端が紫の、鋭い爪。絶望色に染まった視界。
 己のミスを悔いる間もなく。
 それは、あまりに唐突で。
 見慣れた褐色の肌、その背中。
 こんなに、おっきかったんだ。
 タミフルが両手を広げて、私の前に。
 襲撃は瞬きの時間。
 タミフルの大きな首が、宙を舞った。


第4章:彼の行く道


 時計の振り子を戻してみれば、世界が変わるかもしれない。
 夢に自分の本当の思いを気付かされた時のように。
 愕然と。

――――――――――

「そうか、行っちゃうんだね」

 紫煙と喧騒。ハンターズギルドが管理する、アシュース酒場だった。

「帰ってくるぞ?」
「え~、残念」
「冗談か何か、だよな?」
「本音だよ」

 ラグロスは即答した。

「俺のハートは厚い筋肉に包まれてるから、いいさ」

 タミフルは決まり文句を口にする。ラグロスは、話題を変えるべく、息を吸い込んだ。

「リン、元気だった?」

 タミフルが、にま、といやらしい笑みを浮かべた。何せ、顔のサイズが尋常じゃないから、本当に馬鹿にされた心地だった。君の顔の方が馬鹿なのに。

「見舞いに行けばいいだろう? いつもお前が言うように、俺の目は節穴だからな。知らん」

 く、痛いところを突いてくる。

「分かったよ。今度、リンのお見舞いに行く」

 ラグロスは、渋々、引き下がった。麦酒に手をつける。喉はからからだった。
 柄にも合わず、ラグロスは緊張していたのだ。
 タミフルが旅立つ、これは絶好の機会だ。物事の転換期。タミフルの心の防波堤も脆くなっているに違いない。
 ラグロスはそうと悟られぬよう、呼吸を整える。褐色の筋肉が目の前にあった。

「タミフル……」

 ラグロスは、秘めていた思いを伝える。



「確かな筋からの情報なんだ。一ヶ月以内に、リオレウスの襲撃があるっていう予測が観測局から出てる。残ってくれない? タミフル」

 ラグロスは藁にもすがる思いだった。
 ギルドの中で、守り手の次に位置するのは、リンだ。そして、リンには今までタミフルがいた。リオレウスの襲撃が起こったとしたら、リンはタミフル無しで戦わなければならない。

「それはできない。俺があそこに行くのは、宗教のようなものだ。総本山に訪れるチャンスは5年に一度ほど。逃すことはできない。……それよりも、何故、ギルドが関知していない? 対策が取れるはずだろう」

 ラグロスは、ギルドマスターのいるカウンターをちらりと見た。

「ギルドは、握りつぶそうとしているみたいなんだ。少なくとも、こんな情報だったら、もう反応しているはずなんだけど。守り手たちは、一ヶ月以内には帰ってこない。多分、ここで村人達の不安を煽るようなことはしたくないんだよ、きっと」

 タミフルは、一瞬、考えるようなそぶりを見せた。大きな顔に表情は無い。

「ラグロス、違う。恐らく、ギルドはリンを試そうとしているのだと思う」

 ラグロスは視界が歪んだかのように感じた。

「ギルドは、リンの純粋な戦闘力を測りたいんだ。今までのリンの飛竜戦には、いつも俺がいた。止めも俺だった」
「でも、リンは……」
「そうだ。俺がいなくても問題は無い。だが、ラグロス、ギルドなんてそんなものだ。やつらはハンターのことを駒だとしか思っていない。そして、その性能を測り違えれば、被害をこうむるのはギルド」

 ラグロスは、口を閉じた。
 こんな卑劣な世界が身近にあったなんて、信じられなかった。

「ラグロス」
「何?」
「唐突だが、お前、リンのために命をはれるか?」

 ラグロスは、自分でも気付かぬ間に、首を縦に振っていた。


 タミフルの小さな家の中でも、一番スペースをとるリビング。その真ん中辺りにある床板がタミフルの手で外された。
 地下へと続く階段が、そこにはあった。
 タミフルはランタンを片手に、下りていく。かび臭い空気を黄色っぽい光が照らした。ラグロスも恐る恐るタミフルに続く。
 ざっと十段ほどだろうか、たいした距離を下りる前に目の前に鉄の扉が現れた。タミフルは鍵がかかっているその扉を開けた。
 そこには異様な光景が広がっていた。
 その部屋の床は四方が4メートルほどの正方形。それほど高くない天井、壁、床には石が埋め込んであった。
 それだけならばただの地下室だ。
 ラグロスから見て、向かう壁の棚には十数個のアイルーフェイク。右手の壁際にはボディースーツのようなものが五つほど、騎士の鎧のように陳列してあったのだ。
 その色は、褐色。どこか人肌を想像させる、滑らかさ。

「これ?」

 ラグロスの声は、世界の端へ溶けていく。

「お前が、決めたことだろう」

 そして、近づく巨大な顔。アイルーフェイク。ラグロスは一瞬、目を閉じた。
 そうだ。これは、僕が、決めたこと。
 だがしかし、不気味な光景であることには変わりない。

「これ、どうしたの?」

 タミフルは置くまで歩いていくと、部屋の端にあったテーブルにランタンを置いて、自嘲気味に笑った。

「俺はこんな見た目だからな。仲間が欲しいと思ったときもあったんだよ」

 タミフルはアイルーフェイクをいくつか見て、その一つをラグロスの方へ持ってきた。

「リンを守りたいんだろう?」

 それはまるで、魔法の言葉だった。


第5章:プレス

 リンの悲鳴は、喉の辺りで止まった。
 ごう、と飛び去るリオレウス。宙を舞う首。棒立ちのタミフル。
 だが、宙を舞うコミカルな顔の中には、空洞があったのだ。それはまさにアイルーフェイクといった感じで……、
 アイルーフェイク?
 タミフルの体に目を向ける。そこには当たり前のように、頭があった。後ろから見る短い金の髪。

「ぐっ……」

 タミフルが、否、タミフルだった誰かが胸を苦しそうに押さえ、膝をつく。リンは思わず駆け寄った。

「タミ、フル……?」

 両肩に手を添えて、顔を覗き込む。ばっちり目が合った。

「あ」

 リンの口から声が漏れる。
 金の髪、薄い青の瞳、歪められた表情。白めの肌には脂汗が浮かんでいた。

「ラグロス」

 ラグロスは苦しそうに口を開く。

「リン、……げ、解毒薬を、」

 体の奥に氷の棒を突きこまれたかのような錯覚。
 ラグロスの胸部は、そこだけ褐色の何かがはがれ、血こそ出ていないものの、白い肌は禍々しいまでの紫に腫れていた。
 リンは慌ててポーチから青い液体の入ったビンを取り出し、半分をラグロスに飲ませる。ラグロスに横になるように指示すると、患部に包帯をあて、それに残った半分の解毒薬を染み込ませた。

「はっ、はっ、はっ」

 ラグロスの荒い息遣いが響く。無理に動かせば返って逆効果だ。ラグロスが楽になるよう、彼の頭の下に膝を滑り込ませようとして、そこを守る防具にはあまりに鋭い甲殻が使われていたことを思い出す。何度も身を守ってくれたものだが、これほど恨めしく思った瞬間は今までに無い。
 リンは再度の襲撃に辺りを警戒する。
 ラグロスが苦しそうにうめいた。
 槍が手から滑り落ちていくような感覚。あぁ、無力無力無力無力。応急処置以外、何一つできない自分への苛立ち。ラグロスは必死に戦ってるのに、隣で見守っていることしかできない。篭手のショウグンギザミの甲殻が悲鳴を上げた。

「リ、ン……」

 空白の数分。ラグロスが苦しそうに口を開いた。

「喋っちゃ駄目!」
「大丈夫、だから。大分、抜けて、きた」

 ラグロスは小さく弱く笑った。

「僕、リンを守ったよ」
「馬鹿!」
「ぅ、おっけ。リンのそれ、久しぶりに聞いた気がする」
「……馬鹿」
「へへ、リンに膝枕して欲しかったな」

 言葉に詰まった。
 へなちょこのくせに、へらへら笑ってるくせに、モンスターと戦えないくせに、何で肝心のところだけは鋭いの!?

「後頭部切れるけど?」

 表情を変えまいとつとめて、言葉をひねり出した。

「それなら遠慮しとくよ」

 ラグロスは、よいしょ、と言いながら体を起こす。

「いつから変わってたの?」
「君が退院した後から、ずっと」
「何で? あなたはモンスターが怖くてハンターをやめたのに、どうして……」
「言っただろ? 『俺は、リンを、失いたくないんだ』って。あれ、本音なんだ」

 あの時のタミフルは、ラグロスだった。心のどこかで、その事実に気づいていたような気がする。
 ラグロスはリンから視線を外して、空を見る。そして、大きく息を吸い込んだ。

「怖くて、怖くて仕方ないさ。でも、僕はリンがいなくなるほうが怖い。いっつも離れていく君の背中を見送って、それで怯えて。リンが帰ってこなかったらどうしよう、どうしよう、って。……でもある時、そんな自分に気付いたんだ」

 リン、ラグロスは呟く。じっとこちらを見つめて。

「今なら言える気がするよ。僕はもう逃げない。君のことが、好きだ」

 かちり、とパズルの最後のピースがはまったように。
 自分を低くして、逃げて、他人の傘の下に隠れていた「へなちょこ」は、やっと「ラグロス・サーチェス」になったように見えた。
 ばきゅーん、とファンシーな擬音がリンの頭の中にこだまする。

「追い討ちをかけるようで悪いけど、このクエストが成功したら返事、もらうからね」

 そう言って、ラグロスは、へらり、と笑った。

「惚れたもん負け、ってよくできた言葉だよね」

 どうしてだろう、リンはそれが自分に向けられた言葉のような気がしてならなかった。

「行こう、リン」

 そう言ったラグロスの膝は、震えていた。


 こんな真剣な表情のラグロスは、久しぶりに見た気がする。きっと、工房で武器を作るときはこんな表情をしているのだろう。
 そういえば、ラグロスは片手剣を使ってたっけ。
 私がランスをどうしても使いたかったから、それに合うように、片手剣を選んだ、ラグロス。
 ずっと、私のことを見てくれていた。
 工房に一歩身を引いても、ハンターである私のそばにいようとしてくれた。
 体が拒絶するこんな場所にまで、私の前にきてくれた。
 その行動の根源を知らなかったといえば、嘘になる。知ろうとしなかったというのは、半分正解。
 知らない振りをしていたのが、真実。
 もう、逃げるのはやめにしよう。ラグロスもそう言った。
 ラグロス、すごいな。いつも私の後ろにいるのに、本当は私の前にいる。
 肝心のところで、そう、いつも、前に。
 ……追いついてみせる。そうしたら、ラグロスも私の隣に立ってくれる。
 そんな、気がした。

 なら、目の前のこいつを倒さないとね。


 ぶわっ、と世界が色を取り戻す。匂いも、音も。
 果ての無い空は青。踏みしめる大地は眩しい緑。それを蝕むかのように、とげとげしい赤。リンは向けられた殺意の視線を同じもので返す。
 王者は口から音の欠片を漏らすと、牽制をするラグロスではなくリンの方へ向かって駆け出した。
 先ほどまでの怒りは消え去った様。その攻撃に切れはない。
 あなたも三歩歩いたら全て忘れちゃうのね。可哀想に。
 コツはもぐりこむ感覚だ。盾を斜めに、膝をかがめて、足の間をすり抜ける。
 ガッ、物と物がぶつかり合う音がして、リオレウスが頭上を走り去った。そんなリンの視界の端にはリオレウスを追いかけて走るラグロスが写る。
 ラグロスはブレーキをかけたリオレウスに追いすがり、傷ついたその右足を腰から振りぬいたハンマーで打った。頑丈な灰色の鱗が宙を舞う。

「うわぁ!」

 リオレウスは起き上がりざま、ラグロスを狙って尻尾を一閃した。ラグロスの頭を掠めて巨大な質量が通り過ぎる。リンは叫びたい衝動をこらえ、反射レベルの判断で走る。
 想像通りなら、ラグロスは……。
 ぺたん、と尻餅をついた。
 あの、馬鹿!
 振り返ったリオレウス。ラグロスとは、まさに、目と鼻の先だった。
 リンの心の奥がどす黒く染まる。
 リオレウスの瞳に、愉悦がまじった。ラグロスを平然と見下し、餌をどう料理しようか考える。
 その決定から行動までは数瞬。
 絶望の刹那、リンが見ている前で、ラグロスを爆炎が包み込んだ。

――――――――――

 王者は確信していた。己の炎がこんがりと獲物を焼き上げてくれただろう。

「GURRRR……」

 喉をうならせ獲物に鼻を寄せる。「ニンゲン」は草食竜ほど肉は多くないが、「頭」がうまい。舌の上に乗せたらとろけてしまう様なあの苦味。たまらん。
 爆炎が風に吹き飛ばされていく。己の炎は高温で短い時間に焼き尽くす。普通の炎とは違うのだ。
 褐色のものが見るも無残に焼けている。ほう、己の攻撃を食らっても立っているのか。その根性は認めてやろう。ああ、食欲をそそる香ばしい匂いが……無い。
 っ!?
 王者の感覚が研ぎ澄まされる。ニンゲンが焼けていない。つまり、ニンゲンは生きている。
 そして、己は今、隙だらけだ。
 半開きの口、よく見れば引きずっている右足、たたんだ翼。
 空へ……。

「逃がさない!!」

 それは、声。それは、目の前の褐色を貫いて迫る青。
 目がやられる。
 咄嗟の回避。だが、間に合わなかった。それだけは、理解できた。

――――――――――

「間に合ったか」

 ラグロスの前で呟く人影が一つ。リンは、馬鹿にしたようなサイズの頭や隆起した褐色の筋肉をこれほど頼もしいと思ったのは、久しぶりだ。
 火球を受け止めたのは、どうやら本物のタミフルだった。ラグロスが着ているのと同じで、着る人のいない褐色のボディースーツを、まるで盾のようにラグロスの前にかざし、それを受け止めた。
 リンはすぐに突進を始める。
 それは直感の行動だったが、すぐに悟った。これはタミフルが仕掛けた二重の罠なのだ。
 狙ったラグロスが着ていたものと同じ鎧を盾にすることで、リオレウスに勝利を確信させる第一の罠。そして、その偽りに気付いたとしても、リオレウスの、まさかそれを貫いて攻撃がくるはずが無い、という心理を突いた第二の罠。
 巨大な口が笑い、小さな顔が驚きに染まった。
 ラグロスはリンから見て右に横転、タミフルはリンから見て左に立ち位置を少しずらす。
 リンの目の前には、焦げた褐色の鎧だけがあった。そして分かる。その向こうには、大口を開けたリオレウスがいる。
 その時、リオレウスの翼が大きく開いた。
 飛ぶ。

「逃がさない!!」

 穂先は褐色の鎧を貫き。爆炎の世界の向こうへ。
 手ごたえ。同時に、槍を根元から持ち上げられるような力を感じた。
 その力に必死に抗いながら、フィニッシュ突きをお見舞いする。焦げた褐色の鎧はリンのすぐそばまで迫っていた。

「ラグロス!!」

 タミフルの声が飛ぶ。

「分かった!」

 リンは槍を引きずるようにして抜く。槍の先端からほとんど根元までが、どす黒い血に染まっていた。どうやら、串刺しにしてしまったらしい。リンは視界を覆う褐色の鎧を蹴飛ばし、槍をそれから引き抜く。
 王者は小刻みに痙攣しつつ、黒い血を吐き出し続けていた。口から侵入した槍がどこまで届いたのかは分からないが、相当なダメージであることは分かる。
 後は見ているだけでよさそうだ。
 ラグロスは大上段から、リオレウスの頭にハンマーを、二度、振り下ろす。
 そして、タイミングを合わせ、タミフルが飛び上がった。
 タミフルのハンマーが捕らえるのは、頭蓋。
 タミフルの攻撃には、重力の加速を加えてもリオレイア――火竜の頭蓋を砕くほどの威力は無かった。なぜなら、ダメージに地面という逃げ場があったから。
 ラグロスは二度目の振りをそのまま延長して、体ごと一回転。
 ラグロスのハンマーが捕らえるのは、顎。
 ハンマーを用いた攻撃で、最大の威力を持つといわれる「打ち上げ」も決定的に大きなダメージを与えることはできなかった。すくい上げるようなその攻撃には、ダメージに空中という逃げ場があったから。
 では、その逃げ場をなくし、かつ、ハンマーが二つになったとしたら。上下からはさむような攻撃が決まったとしたら。
 リンはその瞬間、ほんのちょっぴり、リオレウスに同情した。
 まあ、痛くは無いと思うわ。
 タミフルの一撃と、ラグロスの一撃は完全に同じタイミング。
 圧迫、圧縮、圧搾。
 これが空の王。そして、私たちはハンター。
 リンは微笑んだ。
 王者の品格? 頭の厚さが2センチですが?


エピローグ:

「『へなちょこ』は、返してもよいぞ?」

 ギルドマスターにそう言われた日から2日たって、ラグロスは思う。リオレウスなんて、たいしたこと無い。命を懸けるということの大変さを知った戦いだった。でも、終わってしまえば、人間は大抵、笑って振り返ることができるのだ。
 目の前に、結構人生かかっちゃってる感じの戦いが待ってる時なんて、特に。
 星が競うように瞬く、空気の澄んだ夜だった。否、若干この辺りは淀んでいる。目の前の木造建築から吐き出される紫煙と喧騒が、そう、ムードっていうか、僕の覚悟の瞬間っていうようなものを完璧にぶち壊してくれている。ありがたい。おかげで心臓がいつも以上に元気です。
 でも、まあいいかな。と、そう思わせてくれたのは、この場所がいつもと変わらないからかもしれない。
 結局、僕がリンのことを好きだったのは、いつからかは分からないけど、変わらない事で、リンがどう思ってるかもきっと変わらないこと。だったら、変にカッコつけるよりも、潔く散ったほうがいい。
 父さん、母さん。僕は、星になります。この勝負に、勝っても、負けても。

「15点……」

 自分の心の呟きに点数をつけると、ラグロスは最後の舞台への扉を開いた。


 露骨に一瞬、静まり返ったけど、気にしないことにする。
 ターゲットロック、前進します。体は、異次元に飛ばされた心臓と反比例するかのように、いつも通りだった。
 大体、返事を貰うにしても、何でこんなに人が多いところにしたんだろう。リンが酒場から帰ってくるところを、待ち伏せでもして聞けばよかった。
 後の祭り、か。よくできた言葉だ。

「リン」

 黒の長い髪が、ラグロスに向けられた背中が、ぴくん、と揺れた。
 今までの人生全てくらいに感じる時間を経て、磨き上げられた木目が美しい一つのテーブルに、ラグロスはたどり着いた。

「座ってもいい?」

 他人行儀な響き。
 仕方ない。他人になるかの瀬戸際だ。
 リンはこちらをちらりと見て、頷いた。ラグロスは座りざまに、カウンターへビールを注文する。

「怪我は治ったか?」

 それまで、まるで空気のようだったタミフルが言った。

「治るわけ無いよ。まだ2日しかたってないし」

 ラグロスはそう言って、右腕に巻かれた包帯に触れる。リオレウス戦の最後に、負荷がかかりすぎて捻挫してしまったのだ。

「あ、あの、ラグロス……?」

 ラグロスはリンの方へ顔を向けた。

「その、ごめんね。怪我までさせちゃって」
「いいよ。僕が勝手にリンについていったんだし」

 リンは何か言い返したが、その言葉はテーブルに豪快な料理が置かれる音にかき消される。ラグロスは少しだけ、給仕の人のタイミングの良さを呪った。
 ラグロスは一緒に運ばれてきた麦酒を豪快にあおる。理性は吹き飛ばしておいた方がいいはずだ。

「リン」

 リンは握ったフォークを取り落とした。構わずラグロスは続ける。

「単刀直入に。返事を貰いに来たんだけど」

 すぱっ、と切られたら、切られよう。

「この2日間、逃げてたよね?」

 リンは一瞬、目を伏せて、肩を震わせた。

「私は……」

 その時だった。
 パン、パン。
 すぐ近くから響いた拍手の音。タミフルだった。それは、回数を打つことではなく、音量を大きくした拍手。
 酒場が、さぁっ、と静まり返った。

「リン、証人はここにいる全員だ」

 恐らくタミフルは、自分がしたことはこれまでに無く最高の主人への恩返しだと思って、小さな優越感に浸っているのだろう。その証拠に、タミフルは笑っていた。
 色恋沙汰は最高の酒の肴である。

「私は?」

 ラグロスの声が吸い込まれるように消えていく。酒場は静かだった。否、音にあふれていた。どうやら僕の心臓は耳の辺りに移動したらしい。
 ラグロスは唾を飲み込んだ。
 リンは顔を真っ赤にしながらため息を一つ、吐き出した。

「……もう。好きにしなさい」

 直後、酒場の天井を吹きぬくかのような音が炸裂した。


 その音は、余韻も残さず数瞬の後に沈静化した。
 先ほどのタミフルの拍手の時の様に。だが、違う。前回のは興味、今回のは警戒の沈黙だった。
 リンの黒髪が、こちらに向けられていた。

「ギルドナイツ?」

 リンが小さく呟く。その視線をたどると、カウンターから二人の男が出てきた。黒いスーツのようなものに身を包み、その腰には一振りの長剣がある。
 問題はそこではない。
 こちらに、ラグロスとリンとタミフルが着いたテーブルに、向かってきているということが、問題だ。

「すまんのう。じゃが、反逆者は捕らえねばならぬ」

 ギルドマスターがカウンターから飛びおり、そう言いながら杖を突いて歩いてきた。

「タミフル、おぬしを王国規定公的文書偽造の罪で逮捕する」

 その時に背中を走った気持ち悪さは、忘れられない。
 タミフルは立ち上がると、両手を掲げた。降伏の体勢。酒場は海の底へ沈む。

「マスター、二人に説明してもいいですか?」

 タミフルが敬語を使うところを、ラグロスは初めて見た。

「よかろう」

 タミフルがこちらに向き直った。

「ラグロス、お前は一ヶ月前、リオレウスの襲撃予測をギルドが握りつぶしている、と言ったな? 違うんだ。あれは俺が偽装してたんだよ」
「な、何のために?」

 タミフルは、くっく、と小さく笑った。

「お前達をくっつけるためだ。計画は成功だな」

 これには、ラグロスもリンも開いた口がふさがらなかった。アイルーの思考回路って、どうなってるんだろ? 待てよ。じゃあ僕は、タミフルの手のひらの上で踊らされていただけ、ってこと?
 無性に腹が立った。

「そのせいで村の人が危なかったんだよ! それに僕は君にそんなことされなくても……」
「言えたのか? 『へなちょこ』だったお前に、そんなことができたのか?」

 ぐ、と言葉に詰まった。詰まった方が負けなのは一目瞭然だった。

「リン」

 タミフルは敗北者を軽く無視して、体の向きを変えた。

「何よ」
「もしかしたら、帰ってこれないかもしれないが、一応、聞いておこうと思ってな。俺のことを、解雇するか……ニャ?」

 アイルーフェイクを被った半裸の男のようなアイルーが、低めの声で「ニャ?」と言ったときの酒場の空気は、学者がサンプルを欲しがるのでは、と思わせるほど危険なものだった。生きる気力を吸い取られたハンター達の胃袋では、ここぞとばかりに食べ物たちが逆襲を始めたのだろう、危うく酒場が墓場になるところだった。

「『いいえ』よ。あなたみたいなのを放っておいたら、何をしでかすか。……私も一つ聞きたいんだけど、本当の意味で、何でこんなことをしたの?」

 ふ、とタミフルは笑った。

――――――――――

「趣味だ」

 嘘つけ。タミフルは自分の言葉に反論する。何のためにこんなことをしたかって? 決まってる。里を出た日の誓いに勝つためだ。

「さてさて、説明は終わりかの」

 タミフルは両脇ががっちり固められたのを感じた。視界が暗く狭まる。諦めの一歩手前。俺は牢屋で一生を終えるのか。

「リン、ラグロス。世話になった」

 珍しく、心からの言葉だったように思う。
 二人のギルドナイトは、カウンターの方へタミフルごと歩き出した。

「タミフル!」

 ラグロスが叫ぶ。首を回すことは許されない。最後に見たラグロスの姿が怒った時のものだったということが少し残念だった。耳を澄ます。

「ありがとう!」

 タミフルは小さく笑った。お決まりパターンからすると鼻の下をこするべきなのだろうが、生憎、両腕はがっちり押さえられている。
 だが、その一言で充分だった。

「さっさと出てきなさいよ! 主人の寝覚めを半永久的に悪くした罪も、きっちり償ってもらうからね!」

 この世には、パンチじゃ解決できないこともある。
 お袋、見てるか? 俺は帰っていい場所を持ってる。俺のことを感謝してくれる人がいる。
 冷静に考えてみたらたいした罪じゃないしな。俺もリオレウス討伐に参加したことを踏まえると、刑はそんなに重くならないかもしれない。
 そしたらまた、工房の前で馬鹿な話でもして、モンスターと戦う。
 暖かい、未来。過去は忘れよう。否、やっと、忘れることができる。

「ちょっと行って来るぜ」

 小さな呟き。
 その時、ぴくり、と体が動いた。
 あぁ、「腹」減った。ここ最近はろくに「食べて」無かったからか。
 俺は、俺だ。
 同じ牢屋に男がいたら、こっちのもんだぜ。

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